ある統失おじさんの日記

統失おじさんの足掻きです。

僕の人生振り返ってみて。

結局、イエスキリストの名前を拒めなかった。

これに尽きるね。

初めは高校1年。

自転車レースのために家の前で自転車を整備している時に、

エホバの証人が現れた。

そう、エホバの証人は、イエスキリストのことを語る。

僕は時々彼女の話を聞くようになり、大会にも参加した。

しかし、洗礼は受けていない。

次は、大学2年生。

寮を出て、1人暮らしを始めたころ、エホバの証人が来た。

この時も彼の話を聞くようになった。

そして、彼が去って行ったころ、大学に行けなくなっていた。

それから、聖書の研究をした。

それから、十数年経って、札幌で一人暮らしを始めた。

この時も、エホバが来て、生活ができなくなってしまった。

そして、今回の韓国人牧師。

彼を宣伝しているイエスキリスト祈りの家教会は、

文字通り、イエスキリストを教会名にしている。

だから、拒めなかった。

 

僕は、イエスキリストの名前を拒めなかったけど、

別にクリスチャンというわけではない。

神道は、富士山の元祖室を知っているし、

仏教は、家が法華宗の檀家だし、

僕自身、タバコは好きで、お金も愛している。

エスキリスト祈りの家教会の言う罪びとである。

でも、イエスキリストの名前を拒めなかったから、

彼らのそういうホームページを読んだり、

接触を試みたりしてしまった。

 

彼らによれば、僕の著作、

安息日 はじめに

安息日 それから

安息日再び

これらが売れないのは、主の御心に適ってないからだという。

 

彼らは、安息日よりも、イエスキリストの復活の主日の方が大切だと言った。

だから、売れないのだ。

安息日を知る者、安息日を守ろうとする者は、聖書を読む人たちだけ。

で、日本でどういう人が聖書を読むかと言えば、キリスト教徒だと思う。

でも、当のキリスト教徒は、安息日を重視していない。

結果として、キリスト教徒は、僕の著作を買わない。

重視していないのだから。

要するに、僕の著作が売れないのは、

マーケティングに失敗しているからである。

そう、「

売れるもマーケ 当たるもマーケ―マーケティング22の法則

である。

金を稼ごうと思ったら、マーケティングで失敗しててはダメだよね?